Xは東京ドーム、Substackは地元のライブハウス
遠くから見ているより、近くで言葉を交わしたい。
Xにいるとき、私はときどき、東京ドームのスタンド席にいるような気持ちになる。
ステージには、すごい人たちがいる。言葉が強い人。たくさんの人に見つけられている人。投稿するたびに、大きな反応が集まる人。
その人たちを、遠くの席から双眼鏡で見ているような感覚。
もちろん、それはそれで楽しい。大きな会場には、大きな熱気がある。たくさんの人がいて、いろんな言葉が飛び交っていて、思いがけない出会いもある。
でも同時に、少しだけ遠い。
声を出しても、届いているのか分からない。 誰かに話しかけたつもりでも、すぐに次の投稿へ流れていく。人が多くて、流れが速くて、気づいたら、さっき見ていた言葉はもう遠くに行っている。
Xは東京ドーム。
Substackは地元のライブハウス。
このたとえを思いついたとき、私は自分の中で少しだけ腑に落ちた。
Xは、広い。広いからこそ面白い。広いからこそ届くこともある。広いからこそ、思ってもみなかった人に見つけてもらえることもある。
だからこれは、Xが悪いという話ではない。
ただ、広すぎて自分の声がどこに落ちたのか分からなくなることもある。
一方で、Substackは少し違う。私にとってSubstackは、地元の小さなライブハウスみたいな場所だ。
客席とステージの距離が近い。大きな歓声というより、目の前の人との会話がある。
コメントし合えたり。名前を覚えてもらえたり。遠くから見ていた人と、同じ空間で言葉を交わせたりする。
ただ「見ている」だけじゃなくて、そこにいる人として扱ってもらえる感じがある。
こうして比べてみると、私がSubstackに惹かれている理由は、たぶんとてもシンプルだ。
私は、もっと大きな場所に行きたいわけじゃない。もっと大きな声を出したいわけでもない。
もちろん、たくさんの人に届いたらうれしい。反応がもらえたらうれしい。読んでもらえたら、それは本当にありがたい。
でも今の私は、それ以上に、ちゃんと届くことがうれしい。
バズるより、伝わること。一瞬の反応より、関係が残ること。遠くの歓声より、近くの会話があること。
そういう場所に、少しずつ惹かれている。
広さより、近さ。
拡散より、関係。
Xでは、たくさんの人の中にいる。Substackでは、少人数でも、ちゃんと顔が見える気がする。
この違いは、数字だけでは測れない。
フォロワー数とか。いいねの数とか。表示回数とか。そういうものも大事なのかもしれないけれど、それだけでは分からないあたたかさがある。
「あ、この人また読んでくれたんだ」
「この前コメントしてくれた人だ」
「この人の言葉、覚えてる」
そういう小さな積み重ねがある場所って、やっぱりいい。
だから私は、Substackで書き続けてみたい。
大きな会場で叫ぶように書くのではなくて、小さなライブハウスで、目の前の人に話しかけるように書いてみたい。
すぐに流れていく言葉ではなく、少し長く残る言葉を置いてみたい。
たくさんの人に一瞬で見られることより、ひとりの人に、ちゃんと読んでもらえることを大事にしたい。
Xは東京ドーム。
Substackは地元のライブハウス。
どちらが正しい、という話ではない。
ただ今の私は、遠くの歓声より、近くの会話がほしくなった。
遠くから見ているより、
近くで言葉を交わしたい。
これからも少しずつ、言葉がちゃんと届く場所を育てていけたらいいなと思っています。



すとらさん、
東京ドームも小さいライブハウスも行ったことあるぼく、なるほど!と思いました!